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ビジョン心理学ナイトライト・ニュースレター2026年4月号

 

4月のテーマは「平和の回復」です。平和があるということは、愛、喜び、健康、そして豊かさがあるということです。それは、自分の目的が明らかになり、天からの呼びかけに再び強烈なひらめきを受けとることです。あなたの人生に意味を与えるのは、まさにこの目的なのです。天とつながり、天を心に留めている人生は、常に意味に満ちています。平和の中にあってこそ、神の声を聞くことができるのです。エゴに支配された人生は、犠牲とわがままの間を行き来するものです。もしあなたの人生が犠牲ばかりのように思えるなら、あなたは自分を奴隷状態に縛りつけている「耽溺」を否認しているのです。それは肉体的な快楽であったり、かんしゃくのような感情的な浸り込みであったりするかもしれません。あるいは、どんな犠牲を払っても勝ちたいという欲望や、自分が「善人」であることを証明しようとしていることかもしれません。その耽溺とは、自分の正しさへの執着や、物事を常に自分の思い通りにしたいという欲求かもしれません。さらには、自分の優越性や劣等性に対する信念である可能性さえあります。平和は「ワンネス」から生まれます。それは平等から生まれる流れであり、違いによる対立がない状態なのです。
            

しかし、平和が失われると、その代わりに攻撃や批判が生まれます。批判とは、自分の望むように行動してくれない相手を攻撃したいという欲求です。これは、世界を自身の要求に合わせようとするエゴの意志に他なりません。ほとんどの人が気づいていないのは、攻撃の意図と目的は、結局のところ、世界があなたのエゴの意志に従わなかった、あるいはあなたの特別さに屈服しなかったという理由で、相手を殺害したいという願望にまで発展するということです。こうした意図は、与えるために自らを広げ、それゆえ自然に受け入れることに開かれている愛とは正反対のものなのです。
             

この世の荒廃を正すためには、まず私たちの心の中の、攻撃的な思考や恨みを癒さなければなりません。世界は、個人の無意識や集合的無意識を含め、私たちの心の中にあるものをそのまま映し出しているのです。痛ましい過去は、心の奥底にある、他者と距離を置き、自分だけ特別であり、自分のやり方で物事を進めるための口実として仕組まれてきました。4月の恵みの一つは、私たちが否認し、心の奥底に埋めてきた多くのことが明らかになることです。これは非常に不快で、圧倒されるような感覚さえ抱くかもしれませんが、実際には、私たちを足止めしている本当の問題が何であるかを知るための贈り物なのです。憎しみ、自己嫌悪、失敗感、他者への攻撃や批判といった感情が明らかになるかもしれません。明らかになったすべてのことを聖霊に委ねてください。あなたの人生に関するすべての知覚、信念、ビジョンを聖霊に委ねてください。あなた自身、あなたの人間関係、そして世界のための新しい道を、聖霊に示してもらうのです。あなたは神の子です。それ以外は、分離と特別意識によって作られた幻想に過ぎず、失敗した投資として手放すことができます。
 

外の世界にあるものは、すべて自分の内面から生じているのだと理解することが重要です。そうすれば、自分の思考、ひいては認識を変えることができるようになり、自らの力を取り戻すことができます。これを認めないと、自分は被害者となり、自分とは無関係に世界で起きているように見える出来事に対して無力感を抱くことになります。しかし、それはあなたやあなたの心の奥底にある願いとは無関係なものではありません。多くの人が自らの主な苦しみと見なしている、よくある例を挙げてみましょう。それは、成長の過程で親が喧嘩していたことから来ています。これは悪循環であり、自分が被害者だと感じる気持ちと、私たちが癒すべきものとの間の葛藤なのです。私たちは戦場にいると感じ、無力な犠牲者のように見えました。しかし、私たちは目に見える世界の「結果」ではなく、その隠された「原因」なのです。第一原因である神は、私たちを犠牲者ではなく、創造者として創造されました。しかし、私たちが裁き、攻撃するとき、私たちは目に見える暗い世界の作り手となってしまったのです。私たちの認識は私たちの判断に起因しているのに、私たちは目に見える世界の「結果」であるかのように振る舞っているのです。成長という戦場において無力な犠牲者となる代わりに、私たちは両親の戦いを見下ろす立場に立つこともできたのです。心のより深いレベルにおいて、両親の戦いは私たち自身の内なる戦いを映し出していました。なぜなら、私たちは両親が象徴する二つの魂のかけらを、完全性と新たな創造的調和の中で一つに結びつけたいと願っていたからです。戦場を見下ろす視点からは、知覚は大きく異なります。私たちは、両親をまるで子供同士が口論しているかのように見ることができるのです。戦場を見下ろすこの場所からは、苦しみも絶望も感じられません。


戦場を見下ろすその場所から、私たちは平和と無垢、そして奇跡を降り注ぐことができます。それは私たちの人生のあり方を一変させ、力を取り戻させ、真の心を取り戻させてくれるでしょう。そして、より力強く、自信に満ちた姿勢で歩むことができるようになるのです。
 

私たち自身こそが人生の「原因」であるにもかかわらず、自らを「結果」や「犠牲者」という、人生において最も弱い立場に身を置いてしまっているのです。人生におけるそれぞれの「被害者」となった状況を振り返り、自己否定の壁を越えてみれば、そこにはハートブレイクだけでなく、攻撃や復讐も存在していたことに気づくでしょう。これらは本来、魂の学びとなるはずでしたが、私たちは学びそこね、それはやがて自己破壊的なパターンへと変質してしまいました。今こそ、これらの出来事の傷跡と、その奥底に潜む痛みを取り除く時です。4月は、絆を通じて得られる恵みと奇跡によって、私たちの心と世界を変容させるのに最適な月です。


私たちは、これまでに経験したあらゆる対立や、自分自身や他者に対して行ったあらゆる攻撃を超越することを願い、より良い道を選ぶことができます。過去に何が起きたにせよ、この戦場から一歩引いて俯瞰し、平和と奇跡の雨を降らせたいと願いましょう。それが、私たちとすべての人々に対する神の御心だからです。私たちは、キリストや観音と共にそこにいることを願い、彼らの目を通して状況を見ることができます。自分たちが特別だという信念から、比較したり、優越感を感じたり、裁いたり、分離したり、攻撃したりしたいという欲求が生まれます。神の御心は、私たちすべてを愛、光、そして無限の存在として等しく創造されました。私たちは、自分たちが異なっており、分離し、特別であることによって、神の御心よりも優れた何かを作り出せると思い込みました。私たちが皆、霊において等しいのであれば、戦うべき対象も、対立すべき相手もいないし、誰かより優れている必要もありません。他者を打ち負かしたり、他者より上になろうとする必要もありません。特別であるということだけが、すべての人、さらには神に対しても勝つことを要求し、その結果、私たちは本来創造された姿のままでいる喜びを失ってしまったのです。私たちの苛立ち、怒り、動揺はすべて、特別であるという意識から生じます。私たちの喜びは、つながりから生まれるのです。


4月は家族と向き合う月であり、特別であることや他者との違いを求める欲求――それらが私たちの心の葛藤や世界中の紛争を煽るものなのです――を超え、絆を再び深める可能性に満ちた月です。競争したり、特別であろうとする必要がなくなれば、破壊的な力は解け去り、消え失せていきます。そして、被害者と加害者が、終わりのない非難の応酬を繰り広げる必要もなくなるのです。
 

絆は、団結、平和、共通の目的、そして共通の富へとつながります。神は、私たちに「一体性」と、誰に対しても特別扱いしない神の愛を与えてくださったからこそ、私たち全員に共通の「原因」を与えてくださったのです。訂正が必要なあらゆる状況において、私たちは天に、私たちの心と目の前の状況のために聖なる家族の絆を願い求めることができます。そうすることで、私たちはより一層結びつき、平和を取り戻し、私たち全員の中に備わっている賜物を取り戻すことができるのです。あらゆる違いを超えたこの絆こそが、私たち自身、私たちの家族、そして世界を救うのです。あなたとパートナー、そしてすべての人々、さらには神の愛への気づきの間に立ちはだかるのは、あなたの「特別さ」だけです。人間関係を破壊するのは、競争心と、他者と違い、より優れていなければならないという欲求だけです。これは、自分自身、自分の存在理由、そして天国への入り口である人間関係から切り離され、自立してしまうことにつながります。あなたのあらゆる攻撃、批判、非難は、他者に対して自分の「特別さ」を確立し、それを認めさせ他者にひれ伏させるためです。これは、違い、比較、距離、そして対立へとつながります。他者を自分とは異なる存在と見なして初めて、攻撃することができるのです。平和は、完全性と絆から生まれます。世界に映し出されているのは、私たちの意識とその葛藤にすぎません。「特別さ」は、その代償を要求します。その代わりに、私たちは絆を持つことができます。それは愛であり、やすらぎに満ちた成功であり、「すべてはひとりのために、ひとりはすべてのために」というものです。これは、私たちのエゴが持つ目標とは異なるものです。なぜなら、エゴは分離、競争、そして違いから成り立っているからです。


今こそ、私たちが本当に求めているものは何かを探すべき時です。神の御心と私たちの真の意志は一つです。私たちは、自分の信念、知覚、ビジョンを聖霊に委ね、真の方向性を取り戻し、目標を訂正することができます。そうしなければ、私たちはエゴの幻想とその追求の上に人生を築くことになり、ヨガナンダが書いたように、肉体を離れた10分後には何の意味も持たなくなるでしょう。私たちは、分離、苦痛、そして幻想によって作り出された個人的な世界の中で、特別なアイデンティティを築いてきました。そこでは、自らの優越性を称えるための個人的な目標を追い求め、それが叶わない場合は、劣等感や、失敗や苦しみから得られる注目を求めます。私たちの世界は、自ら築いた世界の無意味さに対する巨大な埋め合わせなのです。だからこそ、特に意識のより高い段階に達し、これまで偽りの仮面の下で生きてきたことに気づくにつれて、私たちは時折、無意味さを感じるのです。


私たちに意味を与えてくれるのは愛であり、癒やし、助け合い、許しといった愛の具体的な形もまた、幻想を解きほぐしてくれます。私たちが抱く「特別さ」は、自分自身や愛する人々、ひいては絆やパートナーシップ、友情にとって有害なものとなります。自分を傷つけたとみなす相手は、すべてあなたの特別さから生まれ、それを助長する存在なのです。幸福と自己満足の違い、そして真実と「自分が正しい」という主張の違いを学べるようになったとき、あなたは正しい方向へと進んでいることを知るでしょう。4月以降に訪れる、絆の回復に伴う恵みを活かしましょう。4月は、それを見る目さえあれば、復活と奇跡の時です。年が経つにつれて試練が大きくなるにつれ、天が私たちを支えようとするにつれて、恵みと奇跡も増していくでしょう。私たちは「特別さ」から生じる幻想の世界を作り上げてきました。他者を自分を傷つけた存在と見なし、そこから分離が生まれたのです。対立した知覚を超えた、天が愛から創り出した世界を見られるよう願いましょう。心と魂を込めて、その世界を見たいと願うことができます。あなたの経験を作り出した認識や信念、そしてあなたが作り上げた人生のビジョンを、愛によって創造された天を見るために、観音様に委ね続けましょう。もし十分な絆とそれに伴う平安を得ることができれば、痛みと分離によって築かれたこの日常的なエゴの現実はひび割れ、この世で比類なき美しさがあなたに示され始めるでしょう。
 

世界のあるサイクルが終わりを迎えようとしています。それが個人的なものであれ、集団的なものであれ、それは存在する闇の量によって示されています。これは、ある章から別の章への移行です。あなたの無垢さが取り戻されたとき、新しい章が明らかになります。これを成し遂げるのは聖霊の働きであり、これは神の御心であるため、必ず成し遂げられるでしょう。部分的な分離があった過去への執着を手放すとき、あなたの新たな章となるべきものの中で、人生はスムーズに流れ始めます。これにより、あなたが蓄積してきた罪悪感は手放され、それが単なる幻想であるとして解消されます。幻想とは、他者をあなたの「特別さ」の人質にすることから生じます。あらゆる失望、打ち砕かれた夢、そして失敗は、あなたの痛みと非難の上に築かれた「特別さ」という幻想がどこに潜んでいるかを示しています。「特別さ」は、あらゆる幻想に対するエゴの防御手段となります。すべてのハートブレイクと喪失は、「特別さ」の喪失そのものです。あなたのすべての苦しみは、その喪失によって死ぬようあなたを誘惑する、エゴの「特別さ」によるものです。しかし、そこで死ぬのは、エゴの「特別さ」の死であり、あなたが神の延長であり、神の子として創造されたという事実への目覚めなのです。


これまでに経験したあらゆるトラウマを振り返ってみると、それらはすべて「特別である」という感覚の喪失であり、前に進むためにはそこから立ち直らなければならないと感じていたことに気づくでしょう。誰かがあなたを十分に特別に扱ってくれなかったとき、あなたがそれを拒絶したことで、その拒絶によって自らも拒絶されたと感じ、とても苦しんだのです。あらゆる拒絶の痛みは、分離するために拒絶した瞬間に生じます。自由になるためには、自分を特別に扱ってくれなかった他人を許すだけでなく、自分自身と自分の「特別さ」を許す必要があります。そうして初めて、同じ罠に陥ることから解放されるのです。マスターとは、自分が特別な存在ではないと悟ることです。ある才能を極めたことで、完全な「マスター」への道が開かれますが、それはあらゆる行いにおいて天の恵みによって生き、深い平安を感じる状態です。なぜなら、天がすべてを掌握しているのだから、あなた自身は何もする必要がないと悟るからです(『奇跡のコース』)。世界の重荷を肩に背負うのをやめなさい。それはあなたの仕事ではないのです。天に委ねなさい。


自分の「特別さ」を許すことで、恐怖や失敗感を覆い隠していた「補償行為」や「忙しさ」が剥がれ落ちていきます。それは、自立が隠していた痛みや無価値感を癒やします。この癒やしによって、他のすべての人々や神とのつながりを再び思い出すことができるようになります。少しずつ癒やされていくにつれ、あなたは神との一体感、そして神の子としての自分の本質を思い出し始めるのです。
 

これから訪れる闇は、単なる過渡期に過ぎません。信仰を持ち続けてください。その誕生を優雅に受け入れてください。それに抵抗することは、闇をさらに恐ろしいものにしてしまうだけであり、そうなる必要はありません。あなたが苦しむことは、神の意志でもなければ、あなたの真の意志でもありません。信仰を保ち続けてください。許しの力を行使してください。執着を手放してください。それは、失った時に痛みをもたらすだけの「特別意識」に過ぎないのです。パートナーとのパートナーシップだけでなく、全人類とのパートナーシップを自覚してください。あなたの心はすべての人々の心の一部です。ですから、あなたの行動は世界に貢献するのです。他者をどう見るか、それはあなた自身をどう見ているかなのです。他者に与えることは、自分自身に与えることなのです。闇を通り抜ける道のりの果てには、神が創造したままの、永遠に愛されている、無限の存在としての自分自身を知るという高みへと至ります。それは、あなたが神との一体性を認識し、あなたの愛と神の愛が一つであることを悟ったとき、奇跡が溢れ出す時なのです。


ナイトライト・ニュースレター
2026年4月
ハワイ州カフク
翻訳 栗原弘美